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ベルギーでは、パートナーが安楽死を選んだ際、残された側が大切な人を喪ったことによる耐えがたい精神的苦痛により、パートナーと共に安楽死を選べるのかということが提起されたことがありました。
現在世界の安楽死法ではほとんどが末期の身体的苦痛にのみ適用され、精神的苦痛には適用されません。
しかし、精神疾患患者への安楽死を認めているベルギーでは、娘さんを失くした親御さんがその喪失の耐えがたい苦しみにより、安楽死を要請した事例があり、ベルギーではそれが認められます。(シモーナさんとヴァンホエイ先生の事例。)
ベルギーは「耐えがたい苦しみ」を広義に捉えていく傾向にありますが、私は本来世界中がこれを見習うべきだと思っています。
大切な人を喪う痛み。
その苦しみを測れるのは他人でしょうか。
自分の心の痛みが本当にわかるのは本人だけではないでしょうか。
人は、同じ出来事を経験したとしても、その受け取り方、感じ方は様々です。
自分が我慢できる出来事が他人も我慢できるとは限りません。
自分が我慢できるからと、そうでない人に我慢を強制してはいけないと思っています。
つらいのは今だけ…と、将来への希望に意味を見出すも見出さないもその人の自由です。
他人がそこの価値を決めていいものではありません。
「大切な人を失くした」という痛みにせよ、どんな精神的苦痛にせよ、その人が
「もう終わりにしたい」
と願ったのなら、よけいな条件はつけず、ただその願いを叶える。
大切な人と同じタイミングで一緒に生を終えたいカップルや夫婦の死を尊重する。
そんな世界になってほしいと思います。
書いた人:MN
書いた日:2022年9月19日
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